タトラ山麓とスロバキア周遊の旅10 <2011.10.11(月)~20(木)・ワールド航空サービス社> ~旅行5日目・10月15日(土) 曇り~ |
No.10
<場所はレストラン?> |
<レストランSVIST> |
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mugio 外見は、木造の頼りない感じのレストランだけど、中は開放的で明るい雰囲気だったね。 チキンスープは、正確にはチキンコンソメスープ、薄味だったこともあり、評価はBかな! 鱒のローストは、ポテトと野菜が添えてあり、評価はAだね! デザートも美味でAだね。 次に、食事が終わるとシュトゥルブスケー湖の散策に向かいました。 おっと!食事の前に大事な行事があったことを忘れていました。 |
<チキンスープ> |
<鱒のロースト> |
<デザート> |
<紅茶?> |
mugiko
25名の自己紹介でしょう!口べただからこういうのは、苦手だけれど・・・
でも、10日間という短い期間でも名前と顔が一致することは、話が弾んでとても良いことだと思うわ。
● シュトゥルブスケー湖の散策
mugiko
シュトゥルブスケー湖には昼食後バスで30分ぐらいで到着しました。
しかし、ここには宿泊はしないようです。今夜の宿は、昼食をいただいたスタリー・スモコヴェツという町のホテル グランド ベルビューです。(STARY SMOKOVEC 062 01 VYSOKE TATRY SLOVAKIA)
シュトゥルブスケー湖では、散策を楽しもう!ということのようです。
あなたのメモを見ると、シュトゥルブスケー湖の様子と、あなたの本音が表現されていて本当に面白かったので、今度はそれを先に紹介するわネ。
<mugioメモ>
シュトゥルブスケー湖は、リゾート地のようである。スケート場やスキー場があるようで、湖の周りには一流ホテルなど大きな建物が建っている。
mugio
説明する情報がないので正確な説明はできないけど、どんなところなのか写真で見てもらいましょう!下の写真は、君のカメラに収まっていたものだが、シュトゥルブスケー湖に到着直後に撮影したものかな?
<仏像のような像?> |
<白い実の先にイチジクのような実が?> |
左上の写真は、まるで日本の仏像のように見えるけれど、スロバキアに仏像があるわけないよネ。
また、右の写真に写っている樹木は何だろうね?君は本当に思いがけないものを撮影することがあるね!
<シュトゥルブスケー プレソ> |
<湖の周辺の様子> |
mugiko
左上の写真説明に「シュトゥルブスケー プレソ」とあるけれど、正式にはどのような地名になっているの?
<シュトゥルブスケープレソの案内板> |
mugio それがよく分からないのさ! 湖の周囲にあった案内板がその参考になると思うな!上部に地名を表示する大きな横文字があるけれど、どう読むのか?ハッキリしないんだ。 mugiko それで、何と書いてあったの? mugio 「VYSOKY TATRY-STRBSKE PLESO」だね。 mugiko 日本語的には「ビソケイ タトリーストルブスケ プレソ」ね。 |
mugiko
ここは、いわば山岳リゾートというところで、冬場のスキー、スケートを楽しみにスロバキア内外から多くの人々がやってくるようね。
私達が訪問したのは、10月だから、ちょっと早かったのね。
ここで、あなたのメモに再登場願って、本音を聞きましょうか!
<mugioメモ>
湖には一周3kmくらいの通路があり、「ゆっくり歩いて1時間」とのことだが、雪がちらついて、とにかく寒い!ので、早足になる。
自然美が溢れているので、もう少し暖かい時に来たい場所である。
<湖の対岸に見えるホテル> |
<木製の人形?> |
<国旗と英雄像?> |
<高級ホテル> |
mugio
これらの写真から底冷えのする寒さが、そして、緑が豊富なリゾート地というイメージも伝わってくるよね。
右下の高級ホテルに到着したのは15時過ぎだったけれど、ホテルの中に入ってコーヒーをすすりながら休憩したね。
mugiko
この後は、昼食をいただいたスタリー・スモコヴェツという町に戻り、ホテル グランド ベルビュー(HOTEL GRAND BELLEVUE)に向かったのであります!
mugio
感嘆マークをつけると何かありそうだけど、ホテルで、またまたワールド航空サービス社のサービスが待っていました。
ホテルに到着した時刻は、16時30分ぐらいで私達の部屋は423号室、18時30分から0F階のレストランで民族舞踏を見学するという話がSJさんからあったのです!
mugiko
現地の民族舞踏を見学するというな行事は、ワールド航空サービス社のツアーでは、当たり前のように行われているよね。
でも、予定に入っていないものを見るのですから本当に有り難いわ。
また、話が前後するけれど、ホテルチェックイン後には希望者にスーパーを案内していただきましたネ。
早速、食事と舞踏会の模様を説明しましょうよ!
mugio
そうだね!と言いたいところだけれど、まず、ホテルのことを書きたいネ。
部屋の大きさ、水回りなど建物のグレードとしては、申し分ないと思うので、その評価としては、「A」だね。ただし、これからいただく夕食の味がどうかな?
<ホテルの入口> |
<部屋からの眺め> |
mugiko
民族舞踊の方は、SJさんのメモにどのようなものかが書いてあったので、それを引用しておくわ。
<SJさんのメモ>
スロバキアの自民族の英雄「ヤーノシーク」の名前を付けているだけあり、踊りの質も高く、世界遺産の民族楽器フーヤラの演奏も楽しめました。
mugio
「ヤーノシーク」だとか「フーヤラ」などといわれても、何のことなのか分からないよ!
mugiko
ヤーノシークのことは、Wikipediaでは次のように説明しているわ。
「ヤーノシークは、ハンガリー王国(ハプスブルク君主国)領であった当時のハンガリー地方に住んでいたグラル人(牧畜を生業とするタトラ山地一帯の山岳民族)で、出身地は現在のスロバキア共和国ジリナ県のホルネー・ボヴァジェ(上ボヴァジェ地方)テルホヴァー村(現、ジリナ郡テルホヴァー村であり、現代ではスロバキア人とみなされている。現在のスロバキアでは民族の英雄として位置づけられ、ポーランドでもタトラの英雄としてよく知られている。」
mugio
でも、この説明では何をして英雄になったのかが分からないな?
mugiko
それが・・・Wikipediaでは、
「ヤーノシークの活動時期はハプスブルク家支配に反旗をひるがえしたハンガリーのラーコーツィ・フェレンツの解放戦争(1703年-1711年)と重なっていた。
ヤーノシークは解放戦争が始まると反乱軍に参加し、1708年のトレンチーンの戦いで反乱軍が敗走すると一旦帰郷し農業に従事するが、まもなく皇帝軍に入隊し、凶悪犯罪者を収監していたボヴァジェ地方のピトチャ城の駐留部隊に配属された。
ここで、ヤーノシークは服役していたカルパチア窃盗団の首領、トマーシュ・ウホルチークと知り合った。」
そして、「ヤーノシークはウホルチークの逃亡を手伝ったのち、自分も部隊から脱走して(除隊の説もある)ウホルチークの窃盗団に合流し、盗賊として活動するようになった。」
と説明しているのよ。
mugio
そうなると、窃盗を働いている人間が英雄ということになってしまうよ!
mugiko
そうなんだけど、ネズミ小僧のようなこともやっていたようで、よく分からないのよ。
Wikipediaを丁寧に読めば理解できると思うけれど、疲れてきたわ。
興味がある方はWikipediaを読んで教えてくださいネ。
また、「フ(ー)ヤラ」はスロバキアの羊使いたちが演奏する、世界最大のオーバートーンフルートだそうよ。
全長1.7mということだけど、そんな長いフルート見た記憶がないのに、「高く大きい口笛のような音(耳鳴りのような咆哮音)」は、耳に残っているから不思議ね。
mugio
舞踏会の話は、このくらいにして、ホテルのレストランでの夕食にしようか!
mugiko 種類が多く美味しそうね! あなたには、こういうビッフェスタイルの食事が合っているようね? mugio 好きなものを好きなだけ頂けるので、こういうスタイルは、確かに好きだけど、味の方はホテルのグレードに相応しくない「イマイチの味」でした。 |
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